腐女子・腐男子じゃないけどBLゲーム制作

初めてのBLゲーム【Loose Lips(SIDE:rainy day)】を作ったので「BL」について本気出して考えてみた。気に入ったらオススメして頂けるとありがたいです!

思い出

思い出

この春、残念ではありますが訃報が続きました。

春は恩人の命日もあり、私自身の二度目の誕生日もあり、生死について嫌でも考えさせられる季節です。

 

JRAジョッキー、藤岡康太騎手の訃報から2週間が過ぎました。

気持ちの整理がついたので、彼と人生を僅かでも交差させた人間の一人として、彼の思い出をネットの隅っこではありますが、残しておきたいと思います。

ここでは親しみを込めて康太くんと書きます。そう呼んでいましたので。

 

康太くんは、本当に誰からも好かれる明るい人でした。

彼がいるだけで場の雰囲気がパッと華やぐような、本当に明るい、こんなにも明るい人がいるんだというような印象をもっていました。

 

4/6(土)阪神R7にて落馬事故との一報が入ってきました。

事故の内容は割愛します。

落馬事故の映像の確認はしていませんので。

理由は身内が「覚悟している」と口にしたからです。

落馬の状況が危険なものであることは競馬関係者であればもちろん、おそらく素人目にもわかるものだったのでしょう。

その辺りからネットを断つように意識し、情報を遮断するようにしました。

テレビ放映もされているレースですし、映像は瞬く間にネットにアップされ拡散されることはわかりきっていましたので。

そこからは無事であって欲しいと願うことしかできず、気がかりにはなっていたものの、私もやることの多い時期でしたので頭の隅に留めて日常生活を送っていました。

 

程なくして、訃報の報せが届きました。

私も早朝報せをうけ、寝ぼけていた頭が切り替わり、その瞬間珍しくワッと一声あげて涙をこぼしました。

一言で書くとショックでした。

胸に何トンもの風圧をドーンと受けた時のような衝撃でした。*1

このショックの理由は、どこかで回復するという身勝手な気持ちがあったからだと思います。

 

35歳。早すぎる死。

ジョッキーとして、勝負師として、まだまだ鞍上で天辺を夢見ていたに違いありません。

それでも馬乗りと言う危険な仕事である以上、生半可な気持ちで手綱を握っていたわけではないでしょう。馬乗りなら誰もがその危険を承知で鞍に跨ることは、言葉以上に理解しています。

騎手という夢を掴み、駆け抜けた。

その生き様には、強く胸に感じるものがありました。

 

生きることとは、命を活かすことと見つけたり。

これは名もなき詩人(私)の言葉ですが、康太くんの生きた証は間違いなく私の中や多くの人の中に残っています。

馬に乗り、競馬ファンに感動を与え、そして明るく人に好かれた。

そうやって生きていたからこそ、みんなが康太くんの死を悲しむのです。

 

生きるってただ飯食って糞して眠ることじゃないんだと、改めて感じずにはいられませんでした。

それと同時にのこされた康太くんのご家族、そしてお子さんの成長を見守りたかったであろう康太くん自身のことも考え、今あるものの大切さや家族の尊さにも思いを巡らせました。

 

そして、いつかの彼の笑顔が浮かんできました。

ケラケラと笑う康太くんの顔です。

私のもつ印象ですが、康太くんは素直な方ではっきりとものを言いますが、それが持ち前の愛嬌と明るさのためか全然嫌味じゃない。

みんなが笑ってる中心に康太くんがいる。

 

そんな御方がどうして、なぜなのか。

ただただ自分の中に湧き上がった思いとしては、そういった途方もない、答えもない疑問だけが浮かんでいました。

おそらく康太くんと話したり、遊んだり、仕事で接したことのある人なら誰もが私のようなことを思っているんじゃないかと断言できるほど、彼は明るく人に好かれていました。

 

これを書いている間もまだ信じられない気持ちでいます。

友人、知人、皆が寂しがっています。

どうぞ安らかにお眠りください。

藤岡康太騎手の御冥福を心よりお祈りします。

*1:以前、目の前でダンプカーの巨大なタイヤが破裂。その際、胸に強い風圧を受けて心臓に痛みを感じ動けなくなったことがあります。その時と同じ痛みを胸や心臓に感じました。たまたま隣を歩いていた高齢女性は、心臓発作を起こして倒れてしまいました。ものすごい爆風が一瞬にして体にぶつかるのです。