今週のお題「わたしの実家」
私の生い立ちと言いますか、この半生は非常に複雑で、言葉で説明すれば「いやいや嘘でしょう」と言われるような、一般的な人間とは大きく異る歴史を持ちます。
第一子と言うこともあり、下の兄弟達には言っていない(伝えてはいない)秘密も多く抱えています。
私のせめてもの温情と言いますか、墓場まで持っていくことで誰かの名誉が守れるのであれば、私はすすんで慈悲を与えたいとずっと思っていきています。
さて、実家。
私にはないのでどんなものなのかと時折想像してみせます。
たぶん、実家に帰ると両親ないし片親が「おかえり〜」と出迎えてくれて、美味しい手料理を振る舞ってもらったり、懐かしい自室を覗いたり、部屋が小さく見えたり。
そういうことをイメージします。
温かい日本の家庭。
おそらく定期的に帰省する人たちの実家はそんな感じじゃないでしょうか。
ノマド育ちと言うこともあり、一箇所に定住する一族でもなかったので個人的には「安心できるのかもしれないけど、不動産の管理は面倒臭いし、わずらわしい」と思ってしまいます。
季節に合わせて動物と旅をする。ちょっと貴重な経験です。
実際、今は不動産を所有し定住していますが、管理するわずらわしさは感じています。
でも、帰る場所があると言うのは素晴らしいこと。
私には私が築き上げた場所以外に、帰る所も逃げ込む所もありませんでした。
常に全力で、必死に生きていく。
これは、日本の一般家庭で育った人たちには理解しがたい感覚かもしれません。
しかし、マイナス面だけでもなくて、こう言った自分だけが持つ「実家を知らない価値観」
それらがキャラクターやら作品に活かされることもあるのです。
実際、私の制作したゲームは、両親のいない主人公や登場人物が多い。
でも創作物との相性は悪くない。
逆に親子関係を描く時は、友人の話を聞いたり、映画やドラマ、物語からの引用になります。
創作と一般常識
普通と言う感覚を知らないので、学ぶことで習得するしかないわけです。
これはハンデにはなりますが、実家がないからと言って一般的な感覚を知らないでいて良いとは思いません。
学ぶことで知識として蓄えることはできるのです。
創作するにあたっては「いかに一般常識を知っているのか」と言うことが重要になるわけです。
理論的な話になりますが、物語を一般から外すには「一般」と言う広い定義を知っておかなければならないからです。
だから、奇をてらいたいなら、いかに多くの一般常識を知っているのかがポイントとなる。
こういう話は創作界隈では当たり前のことなのですが、時折「あのひとは変わってるから面白い話が作れる!」と言う意見を耳にすると、実際は「あのひとは一般常識をより多く知っているから面白い話が作れる」と言うことです。
中にはケミカルに頼ってぶっとんだものを作る制作者もいます。
すぐにコミュニティー内で情報は共有され、要注意人物として名前があがります。
だって売上がそういう所へ流れるわけですし、何よりも仕事を引き受けると自分にまでとばっちりが来るかもしれないからです。
でも、消費者はそれに気づかず「ぶっ飛んでて面白い!」とお金を落とします。
なんだかなぁと思っても言えなかったり。
話が脱線しましたが、一般的じゃなくても学べばいいじゃない。
そんなことを思いました。
サスペンスBLドラマゲーム『Loose Lips(SIDE:foggy)』